沿革

戦後から オイルショックまで1945年~1973年

国内エネルギー産業の発展とともに、タンク・プラントメーカーとして確固たる地位を築く中、海外にも積極的に進出し、実績と信頼を積み重ね「タンクの石井」と評される所以となった時代でした。
また、レジャー産業など新しい事業にも挑戦し、常に新しい価値を社会に提供してまいりました。

東洋一(当時)の有水ガスホルダー

(5)東洋一(当時)の有水式ガスホルダー

わが国初の球形タンク(当時の工場加工)

(6)わが国初の球形タンク
(当時の工場加工)

球形タンクの低温脆性破壊研究国際溶接学会(IIW)にて論文発表(1959年6月)

(7)球形タンクの低温脆性破壊研究国際溶接学会(IIW)にて論文発表(1959年6月)

流水プール兼用スケートリンク東洋一(当時)

(8)流水プール兼用スケートリンク東洋一(当時)

  • 1946年 食料増産路線に沿い、各化学肥料工場の復旧に協力。水性ガス製造装置ほかの復元、改造、新設にまい進
  • 1949年 太平洋岸製油所操業再開。以後石油事業の再建、新設に寄与
  • 1949年 東京証券取引所第一部に上場
  • 1954年 東京瓦斯(株)滝野川整圧所に全溶接構造による東洋一(当時)の175,000m3有水式ガスホルダーを竣工 ※写真(5)
  • 1954年 大協石油(株)四日市製油所(現在のコスモ石油(株))にわが国初の球形タンク9基を竣工 ※写真(6)
  • 1956年 出光興産(株)徳山製油所に20,000KL浮屋根式タンクほか計55基ならびにフレアースタックを竣工
  • 1958年 当時世界最大の50,000KL浮屋根式タンク2基を竣工
  • 1959年 球形タンク実物による世界初の低温脆性破壊の連続的な再現実験に成功 ※写真(7)
  • 1959年 本社を東京都中央区数寄屋橋富士銀行ビル内に移転
  • 1959年 165,000Nm3/日 ナフサ改質ガス発生装置2基を竣工
  • 1961年 フィリピンに22,000KLタンクほか計45基を竣工
  • 1964年 スチール製プール及びプール兼用スケートリンクを開発、以後全国各教育機関、レジャー産業等に多数竣工
  • 1966年 2,000KL一重殻低温タンクほかを竣工
  • 1966年 世界最大(当時)のスチール製プール兼用スケートリンク400m×14m×1.0mを竣工
  • 1967年 500m3二重殻低温球形タンクを竣工
  • 1967年 80キロ高張力鋼による410m3球形タンクを竣工
  • 1968年 画期的なヘリカル工法による第1号タンク 3,000KL ハードトップ・フローター・タンクを竣工
  • 1969年 15,000KL 液化アンモニア 二重殻低温タンクを竣工
  • 1971年 東洋一(当時)の流水プール兼用スケートリンク300m×10m×1.2mほか各種プール計5基を竣工 ※写真(8)